sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

限界その3



















さて、見通しは良く、特に対向車もいない、カーブも緩い田舎道、路面も問題ない。
懐の具合や仕事上のトラブルやイザコザ・・・なんかはとりあえず忘れてと。
まあ、とても気分よく飛ばしている、とする。

道ばたにちらほらと民家が見え出してくる。

・・・こんな人里離れた所にも住む人がいて、
            それぞれの生活があるのだな。

とふと気付かされることがある。


・・・自分がここに住んでいたとしたらどんなだろう。
どんな仕事をして、どんな食べ物を食べているのだろう。

想像が膨らむ。

ツーリング先でこういった想いが頭をよぎる一瞬。

「バイクで走る」行為が「旅」に変わる時だ。

こうやって、近所を走っていても「旅」が味わえたりする。
逆に何も考えず感じず高速道路をただひたすら走り抜けただけ、
ではいまひとつ「旅情」のわかないこともある。
いずれも心の持ち方次第、だ。


と、
不意に道ばたの立て看板が目に入る、
かと思う間もなく後ろに吹っ飛んでいく
   ーーー      ーーー     ーーー
                「この先幼稚園、注意」
                           ーーー

速度が上がれば周辺視野は極端に狭くなる。動態視力も同様だ。
やれやれ、歳をとれば尚更だ、言いたかないが)
うっかり前車に付いて行って「ん?」と思ってアクセルを
緩めた時には門の前を通り過ぎていた・・・

秒速25m、とはそういう数字だ。
水泳プールを1秒でひとまたぎ、と想像すればよくわかる。


先ほどの続き・・・

・・・自分がここに住んでいて、小さい子供がいて、
何かの行事で日曜に我が子の通う幼稚園に行ったとする。
その玄関先を、我が物顔の何台ものバイクがものすごい
スピードで走り抜けて行ったら・・・
いったいどんな気持ちになるだろう。

「そこ」での「限界速度」
「物理限界」よりも遥かに低く、「状況限界」よりもさらに低いものが
求められる、こんな時「社会的限界」というものを考えてしまう。


これらを見落として我が物顔で「快走」する我々ライダー達。


どうしたってバイクは反社会的な側面を持つ。

こんな事は人にとやかく言いたくないし言われたくもない。

自分で気付くのが

一人前のバイク乗り

ってものだ、とも思う。


自分は、この先まだまだあたらしい「限界」を
見つけていくつもりだ。
むろんそう言ってて明日に事故で野垂れ死ぬかもしれないが・・・



P.S
あとひとつ忘れていた。
「法律的限界」
これはもう・・・ご存知の通り。
忘れていると否応なくお灸を据えられる。