関西人なので自分の失敗は自ら面白可笑しく話す。
相手も関西人だから面白可笑しくツッコんでくれる。
そしてその場でウケればそれでいい。
当意即妙の間と、誰も思いつかない気の利いたヒネリ・・・
時にエゲツナイ言葉のやり取りも、
ドジ踏んだ話していても本当にその人がドジな訳ではない、と。
きついツッコみする方も悪意があってのことではない、と。
そんな双方の暗黙の了解の元に、許される。
それを上方では「洒落」という。
しかし、ツッコまれる方が不愉快だと思った瞬間。
大きな前提が崩れる。
あまりに一方的だったり、
面白くもおかしくもなく、
言葉が過ぎたり、
つまりその底に悪意が感じられる時・・・
もはや「洒落」ではない。
侮辱、愚弄、悪口に変わる。
「バッカモ~ン!!」
「親しき仲にも礼儀あり。口は災いの元」
歳を重ねると、こんな風に苦言を呈してくれる
「磯野波平」のような人が身の回りにいなくなる。
逆に煙たいのは追い払って、お追従ばかりの
取り巻き連中にかこまれて得意になっている。
誰だってそうだ。
私だってそうだ。
人の振り見て我が振り直せ。
肝に銘じておこうと思う。
でないと「洒落」にならないよ。
友直、友諒、友多聞、
益矣。
友便辟、友善柔、友便佞、
損矣。
直きを友とし、
諒(まこと)を友とし、
多聞(博識)を友とするは、
益なり
便辟(媚び)を友とし、
善柔(追従)を友とし、
便佞(口達者)を友とするは、
損なり