sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

三千院 6

車はやがて京都の町に入る。暑さが西日とともに車の窓から差し込む。

不思議な事に、運転しているといつもは気になる街並みが目に入らない。
 北山のシャレのめした店々や南禅寺あたりの古びた建物、
         いかにも商業地然 とした山科の駅前。
                そんな窓の外の景色

が、みなもう絵空事だ。

 

 

カーステレオから流れる、
いつもはお気に入りのリンダ・ロンシュタットの 歌声も、
ネルソン・リドルのオーケストラの音色もなんだか妙に平板に聞こえる。

 ハンドルを切ってもアクセルを踏んでも他人の仕業の様に現実感がない。
 そうやって雲に乗るかの様にして、ふわふわといつの間にか家にたどり着いた。

         以前来た時もこんな感覚があった。

赤信号なのにそのまま車を走らせ、
   横断歩道の人達をあやうくなぎ倒しそうになった。
      そのとき丁度、増水した川をずっと見ていて
         橋から落ちてしまった少女の話をしていた。

 体験談だというから助かったはずなのだが
   何故かその後の記憶はない、という。 
      
    この世には確かに人をそんな風にする不思議な場所がある。

「あそこ」

もそんな場所なの ではないだろうか。
     
     ほんとうは

「あそこ」

にいて、普段は抜け殻の肉体だけがこの世に 出張中なのかもしれない。

   あまりにこの身がくたびれ、

      すりきれてしまった時、 思い出した様に

「あそこ」

に里帰りして自分の本来を取り戻す。

     そうしてそこで時を過ごし、繕ってもらってそこからまた、
        
           魂かなにかを 置いて移し身となり、現世に帰る。

 三千院の由来はしらない。

     けれどそういう場所だから、昔の人たちはあの寺を建てたのだろう。

 きっとそうなんだと思いつき、

   またぞろ勝手に決めつけた。
 
     
 
       何年先になるかわからないけれど、

       三千院にはまた来ようと思う。

                                (了)